人気ブログランキング | 話題のタグを見る

春の便り

サイトのバックを桜の写真に変えたのに、桜もあっと言う間に散ってしまいましたね。
暖かくなったと思ったら、急に寒くなり、その後雨続き。
これじゃあ人間様も体調が狂っちゃいます。

3月頃から、咳の長く続く風邪が流行っています。
かくいう私も、2月の中旬から3月終わり頃まで咳をしていました。
そして今はスタッフが次々に咳をしている。
原因は私では?と思いつつ、知らん顔をしています(笑)

いつも素敵なパンフラワーを持ってきてくれる患者さんが、春の便りを届けてくれました。
冬の椿も風情があって良かったですが、このツクシはどうですか?
ツクシだけじゃなくて、下の苔のところに小さなスミレが咲いてるのがわかるでしょうか?
こういうのがセンスと言うのでしょうね。

天気が悪くても、こういうのを見ると元気が出ます。
サイトのバックも初夏のものに変えていかねば・・

それでは皆さん、今日も元気で!

春の便り_a0310110_22592227.jpg

# by takahashi-naika | 2015-04-14 22:59 | 診療雑記

再会

先日、私の数少ない友人の1人が高知からやってきました。

彼とは、小学校、中学校が同じで、中学の時はバレーボール部に所属、私がエースアタッカー、彼がセッターでコンビを組んで、県の総体で優勝したこともありました。

高校、大学は別でしたが、やっぱり2人共にバレーをしていたので、あちこちの会場で顔を合わせました。
2人とも35才で結婚したので、子どもの年齢もほとんど同じ、彼は高知で体育の教員となりました。
私は新婚当時高知の病院に勤務していたので、彼の新居に家族でよく遊びに行ったものでした。

3年前、中学校のバレー部の同期会をした時も元気でした。
脳卒中から復帰された監督の先生も交えて楽しい時を過ごしました。

その彼が2年前に脳卒中になったのです。
2年間休職し、やっとこの4月から復職するとのこと。
右半身の不全麻痺が残り、言葉もゆっくりしか喋れないので、体育の教師としては無理ですが、支援学級の担任として復帰することになったとのことです。

復職したら、しばらく遊びに来れないと言うことで、1人で特殊装置のついた車を運転して高知からやってきました。
杖をつき、用心しながら足が上がっているのを確認しながら歩いていました。
階段は少し怖そうだったので、手を貸しました。
食事をするときには時々口の端からこぼれてしまうと言って、持ってきたタオルで口を拭いていました。

身長は168cmですが、中学の時は走り高跳びで180cmを跳び、学校代表で陸上の試合にも出たことのある、バレー部で一番運動神経が良かった彼がそんな姿になったのを見ることは辛かったけど、
それでも、よく生きていてくれたと涙が出そうになりました。

左手1本で車を回して帰路につく彼を見送りました。
また来いよ、私もまた高知へ遊びに行くよ。
60才になったら中学校の同窓会もまたやろう。その時まで元気でいようなあ。
そんな風に言い合って別れました。

私にも持病があります。
その持病は、脳梗塞を起こしやすい、心臓の病気です。
脳梗塞は、私に起こっても不思議ではなかった・・・。何故彼だったのだろう?
自分が健康であることのありがたさと幸運さをしみじみと感じました。
この幸運を大事に使わないといけないなと思いました。

さあ、今日も元気で!
# by takahashi-naika | 2015-03-31 18:13 | 日常雑記

1人の旅立ち

この文章は、もう10年も前に別のブログに書いたものです。
久しぶりに読み返し、少し手を入れて再掲します。
読み返してみた感想は・・・昔は若かった(爆)


夜中の2時過ぎ、半分眠りこけて、頭がぐらぐらなりながらも何とかブログをアップして、マジ寝ようと思っていたら電話が鳴った。

一瞬どうしようか頭で迷ったけど、留守電にしてなかったし、身体が反応して受話器を取った。

電話は、患者さんのKさん。
「先生、もう死んでるみたいなんです」
kさんの弟さんであるOさんは、上咽頭つまり喉の奥の方に癌があって、もう大分前から悪い状態だった。

そうか・・Oさんが亡くなったのだ。

最初にOさんを診たのは1年半ぐらい前になる。
首が痛いと言うのが主訴だった。触ると首のあちこちに大きなリンパ節が累々と腫れていた。感染症のときの腫れ方とは違うと、県立病院の耳鼻科を紹介した。診断は、上咽頭の癌か悪性リンパ腫でしょうとの事だった。

しかし、Oさんはそれ以上の検査(組織の生検とか)を拒否して、耳鼻科への診察も行かなくなってしまった。
電話して当院に来て頂いて、何度か説得したが、とりつくしまがなかった。

時々、痛み止めを取りに来るだけで、診察室にも入ってこなかったが、ある日呼び込んで診察すると、リンパ節はまるでおにぎりのように大きく腫れて顔貌が変わってしまっていた。

それからも鎮痛剤を取りに来ていたが、普通の鎮痛剤から、麻薬類似薬へと変わり、1最終的にモルヒネも処方した。

お姉さんのKさんは、何かと弟にあたるOさんの世話を焼いていて、何度か診察室に入ってきて相談を受けたけど、当の本人が何もかも拒否しているので、手の出しようがなかった。
今年になって一度だけ、恐らく腰骨に転移していたのだと思うが、あまりに腰が痛いと言うので診察室に本人が入ってきた。その時に、1人で自宅で誰も知らないうちに死んでしまう事になるかも知れないけど、それでも良いのですか?と尋ねると、それで良いと言う返事だった。
痛そうに脚を引きずりながら帰っていった。
身体は痩せているのに、顔はリンパ節が腫れて膨れていた。

数日前にもKさんがやってきて、いよいよ悪そうだと言う話は聞いた。多分、気が付いたら亡くなっていたと言うふうになるでしょう、親族は辛いけど仕方ないですねと言う話をして、そうなったら死亡確認に来て貰えますかと尋ねられたので、もちろん行きますと答えていた。

そうか・・Oさんが亡くなったのだ。

寝間着の上にウインドブレーカーを着込んで、往診鞄を持って外に出る。
自分の吐く息が白い。空には満天の星。

彼の家は、幸い自宅から歩いて200mぐらいのところだった。
行くのは初めてだったけど、そんな時間に灯りが点いてるのはそこしかないだろうと見当を付けて戸を開けて入っていくと果たしてそこだった。

Oさんはこたつの中で寝た格好をして亡くなっていた。
Kさんと、Kさんにそっくりな顔をしたもう一人のお姉さんが居た。
彼女たちは一緒に泊まり込んでいたらしい。
昨夜は一緒に少しブランデーを飲み、彼女たちは9時過ぎに先に床に入ったが、いつしか彼のいびきが聞こえないのに気づいてやって来たら事切れていたと。

診てみると、もう既に死後硬直が始まっていた。
普通、2時間ぐらいから硬直は始まる。
恐らく亡くなったのは11時頃じゃないか。
彼の手足は強く引っ張ってみたらまだ伸ばせたけど、もう少し立てば本格的に硬直が完成するのだろう。

たった1人の子どもである娘さんにも来なくて良いと追い返し、兄弟達にも何もしなくて良いと言っていたらしい。
あまりに調子が悪そうなので、明日は先生に来て貰おうと薦めたら、自分が死んでから来て貰ってくれと言ったそうだ。
文字通り、その通りになった訳だ。

こういう死に方もあるのだ。
潔いと言おうか何と言おうか。
確かに誰にも迷惑をかけてない・・と言うか最小限の迷惑しかかけていない。
でも、その潔さのせいでお姉さん達は苦しんだかも知れない。
潔さ・・単に人間嫌いだっただけかも知れないけど。

亡くなる患者さんや家族とは、濃いつき合いになることが多い。まあ、それは当然だ。
この患者さんとは殆ど接点がないままだった。
くるりと背を向けた人を、遠くから眺めていただけだ。
それ以上踏み込ませない、強靱な意志で作られたバリアがそこにはあった。

亡くなった事によって、そのバリアはなくなり、物理的にはみんなが彼のそばに行くことが出来た。
でも、彼の心のそばに誰が行けるだろう?

彼はたった1人であの満天の星空に登っていったのだ。

ホントは、彼は他人に何かして欲しかったのじゃないかな?
でも、そしたら医者である私は彼に一体何をしてあげられたのだろう?
そんな風に思うのは、何かをせずには不安で仕方ない、弱い心の表出なのかも知れない。
結局それは周りの人間が、何かしてあげたと言う自己満足なのかも知れないな。

結局、生きるのも死ぬのも1人だよ。
そんな風にOさんが笑いながら言っているような気がした。

冬の大気が肌を刺すような冷たい夜だった。


数日後の休日。
息子とキャッチボールをしていたら、喪服を着たKさんと妹さんが親族を連れてやってこられた。
そうか、今日がお葬式だったのだな。
初めて見る娘さん、その旦那さん、そしてoさんには孫に当たる子ども達。
みんなが深々とこちらへ向かって礼をしてくれた。
自分は何もしてあげることが出来なかったのに・・・。

決して、彼は1人では無かった。
大勢の人に囲まれていたのだ。
それが分かって少し気持ちが軽くなった。
良かったね・・・今はもういないOさんに向かってそう呟いた。
冬の夕焼けが目に染みてしかたなかった、
# by takahashi-naika | 2015-03-11 01:02 | 診療雑記

小確幸

村上春樹さんの作品には、「小確幸」と言う言葉がよく出てきます。
ささやかだけど、確実な幸せと言う意味ですね。

今日、1人の青年が健康診断のために受診しました。
昔高校生の頃に、呼吸器疾患で当院へよく通ってくれた人でした。
大人になって就職してからも、時々は来ていましたが、だんだん疎遠になっていました。

今日は久々の受診。病気ではなく、新しい職場へ提出する健康診断書のためでした。
前の病気も全然落ち着いていて元気と言うことでした・
聞けば、結婚して昨年子どもも出来たとのこと。

大きくなったなあと思う半面、自分も年取るはずだと思いました。
当院が開業してそれだけ月日が経ったと言うことでもあり、また子どもだった患者さんが大人になっても当院を受診してくれるのは嬉しいことです。

これが私の今日の「小確幸」でした。
# by takahashi-naika | 2015-02-23 17:15 | 診療雑記

冷や水

また不摂生の話かと思われるかも知れませんが・・。
不摂生という言葉は適切ではないと自分では思っています。
敢えて言うなら、「年寄りの冷や水」かと(爆)

8日は市の小学校PTAのソフトバレーボール大会でした。
ソフトバレーと言うのは、バドミントンのコートで、ネットは2mと低く、4人でチームを組みます。
テレビでやっているバレーボールとは少し違いますね。
ボールも柔らかいボールで、元々は高齢者のスポーツとして導入されたのが、手軽でバレー経験の無い人でもやりやすいと言うことで、広く色んな年齢層に普及しています。

私は中学時代から大学までずっと6人制バレーボール、つまりテレビでやってる全日本と同じ形のバレーをやってきました。何せ、ミュンヘンオリンピック金メダルの世代ですから。
大学生の時は全日本と同じ2m43cmのネットでバシバシアタックを打っていました。

社会人になってからも、病院のチームやクラブチームでやっていましたが、年齢には勝てずジャンプ力も体力も無くなり、9人制が中心となりました。ネットは2m20から30cmの事が多いです、
そしてその9人制も、この秋のPTAの試合を最後に自分の気持ちとして引退して、10年ほど前からやっているソフトバレー1筋となったのです。

末っ子は小学校6年生なので、これがPTAでの最後の試合となります。
1昨年、その前と市で2連覇を達成したのに、昨年は決勝トーナメントで1回戦負けとなりました。
その雪辱を晴らさないと・・。

メンバーはずっと一緒にやってきた男性のM君。
それと今年から新たに入ってくれた女性2人。M君が40才になったばかり、女性達は35才と私とは1回り以上の年齢差です。

予選リーグは2セットマッチ、1-1の時は総得点、それも同じならじゃんけんで勝敗が決まります。
全部で4試合。
いきなり負ける・・相手も強かったけどこちらは初戦、相手は2戦目と言うあやもあったかも知れない。
次の試合楽勝の相手と思われたのに追いつかれて、あやうく1セット目を逃げ切る。
2セット目、私の魔球サーブで7-0とリードしながら、なんとジュースに持ち込まれて逆転負け。
総得点も同じなのでジャンケン・・そして私がジャンケンで負ける。

いきなりの2敗でもう駄目かと思いましたが、残りを2勝しました。
4勝のチームが1つ、4敗が1つで2勝のチームが3つとなりましたが、ジャンケン負けが効いて、2位で何とか決勝トーナメントへ。

準々決勝が終わった瞬間右足のふくらはぎにぴくぴくと痛みが・・足がけいれんを起こしたようです。
サポーターを巻き、芍薬甘草等を飲んで何とかコートへ。
女性の1人も足にけいれんを起こしましたが、何とかフルセット(決勝トーナメントからは3セットマッチ)で勝利を収めました。

そして決勝は、予選リーグ初戦で負けた相手。
力を振り絞って頑張りました。私の魔球アンダードライブサーブも冴えて最初より良い試合が出来たものの0-2で敗戦。
でも、準優勝でした。最後の大会を良い成績で終えて良かった。
チームメイトも喜んでくれました。

しかし合計7試合、15セットはきつかった。
4人ぎりぎりだったので、メンバー交代も出来ませんでした。
普段属しているクラブチームの試合も、大抵は4試合、5試合あったら多いと思うのに7試合ですからね。

打ち上げて楽しく飲みました。
M君は下にもお子様がいるし、女性達の子どもはまだ低学年。
これからもがんばって欲しいです。

翌朝も前日以上に足が痛い。歩くのが辛い。
足がっただけならすぐに治っているはず、これは肉離れなんだと気づきました。
右のふくらはぎの上の内側、よく肉離れの好発部位です。
自分も何度か起こした事があります。試合当日は、アドレナリンが出まくっていたので、あまり痛みに気づかなかったのでしょう。
そのままよく2試合動けたものだと思います。

自分の診断では1-2週間ってところかな。
しばらくおとなしくします。

ね、不摂生ではなく冷や水ですよね(爆)。
# by takahashi-naika | 2015-02-10 16:24 | 日常雑記

たかはし内科 院長 日々の診察雑記帳


by takahashi-naika