加齢について思う事
2017年 06月 01日
またまたブログの間隔が空いてしまいました。
もう5月も終わろうとしています。
月日の経つのは速いですね(と、筆無精をごまかす)。
日本は高齢化社会に突入しており、男女ともに平均寿命は80才を超えました。
特に女性は80代の後半になっております。
平均寿命を過ぎたら、毎日が神様の贈り物。
そう考えて暮らしましょうと、私は患者さんによく言いますが、
冗談ではなく、本当の気持ちです。
年齢が進めば進むほど、加齢と言う問題がのしかかってきます。
この症状は病気なのか、加齢なのか?
それはどっちもイエスです。
本人の日常生活を損なっているものは、すべからく病気であり、
その病気の原因の中に加齢も含まれると言うことです。
患者さんの中には、その症状は年齢的なものですと言うと、
立腹される方がおられます。
私なら、怖い病気じゃなかったのだから良かったと思いますが・・。
医者の言い方にも問題があるのかも知れません。
誤解をしていただきたくないですが、年齢的な物だから、仕方ない我慢しろと言っている訳ではないのです。
それを認めた上で、どないか楽になる方法を考えようと言うことなのです。
けど、原因が加齢なのだから、元通りになるとは限りません。
いや、おそらくそんなことはないのでしょう。
その前提で、少し昨日より今日が楽なれば良いのではないか。
そう考えると気持ちも楽になると思います。
私は57才になりましたが、年齢を感じることは多いです。
白髪がほとんどないし、体格が良いので姿勢もよく見えるらしい。
ヒトからは若いですね・・と言われますが。
でも、自分の老化は誰よりもよく自分が分かっています。
目は老眼がかなりひどくなりました。夜になると眼鏡をかけてもパソコンの文字が見えません。
焦点が合わないのです。
コントラストの弱いものは見えません。エアコンの液晶など。
書物も、白い紙にくっきり黒字で印刷されていれば読めますが、黄ばんだ紙だとだめです。
右目の視力は、加齢性の病気で0.7ぐらいまでしか上がりません。
飛蚊症は40才の頃からあり、じっと観察すると何匹か飛んでいます。
耳は聞こえますが、健診で聴力検査をしたら高音域が聞こえていません。
でも、日常会話に支障の無い領域なので良しとしています。
時々キーンと耳鳴りがします。聴診器の音が聞こえないときが時々あります(何で??)
夜中にトイレに起きない日もありますが、2回ぐらい起きることもあります。
夜の1時に寝て、朝の6時に目覚ましをかけていますが、いつも目覚ましが鳴る30分前には目が覚めます。
目が覚めてもすぐに体が動きません。立ち上がると足首が痛くて歩けない。
でも数分すると動けるようになります。多分油が体に回ってなかったのだなと思います。
両方の膝は痛くて曲がりません。正座はもちろんですが、和式のトイレも使えません。
妻には凹脚になってきていると言われました。
これは若い頃からバレーボールで膝を酷使してきたツケだと思って居ます。
腰も痛いので、マーケットで小銭を落としたりすると、うつむいて拾えない。
痛い両膝を付いて拾わないといけません。妻に、後ろから見たら凹脚になってるねと言われた時は少しショックでしたが。
内臓の方を見ても、心臓の手術をしたのは前に書きました。
胃のしまりが悪くなってるせいか、げっぷがよく出るし、食べ過ぎると胸焼けがします。
虫垂炎の手術をしてから、便秘気味になり、数年に一度プチ腸閉塞のような腹痛発作が出ます。
誤嚥がひどく、特に朝、食べたり飲んだりしているときに話しかけられるとひどく咳き込みます。
寝ていて自分の唾を誤嚥して咳き込んで目が覚めることもあります。
長々と自分の体の老化現象を書いて失礼しました。
私の強みは、自分が医者なので、これからのことが病気ではなく加齢現象だろうと想像がつくところです。
だから、それほど悲嘆していません。
まあ、こんなもんだろうと。
アンチエイジングと言う言葉がありますが、あまり好きではありません。
若返る必要はないのですが、若々しくありたいとは思います。
でも、それは自然の流れに乗ってですね。
目がつり上がった森進一や郷ひろみより、垂れ下がってきた寺尾聰の顔の方が私は好きです。
あんな風になれたらいいなあと・・無理か・・。
だから、80才と言われる膝でバレーボールもボウリングもやってます。
まあ、行けるところまで行こうと。
目は片方見えているから良しとしよう。そのうちIPS細胞が使えるかも知れない。
90才になった自分がどんな風なのか、想像が付きません。
でも、両親がもうじき90才になるので、自分もそれぐらいまでは元気にいきたいと思って居ます。
医学も発達するので、今の両親の姿よりは若く居られるのではないか。
その年ぐらいまでは何とか楽しく生きて行けたらと思って居ます。
ぴんぴんころりと言う言葉があります。
普段通りに自然に生きて、寝込んだりせずに死にたい。
家族に迷惑をかけなくて済む。
理想的な死に方かも知れません。
でも、そうなるには、90才ぐらいまでに大きな病気をせずに元気でいることが必要です。
70才のヒトはぴんぴんころりでは死ねません。そんな事があれば突然死です。
現代の医学では、脳卒中や心筋梗塞ではそう簡単に死ねませんから、家族だって、もういいかとは言いません。
ですから、若い年齢でそういう病気になれば、
残りの長い時間を病気とともに生きることになります。
それもまた人生であり、その中でも元気で楽しく暮らせたら素晴らしいし、そのお手伝いをするのが医者の仕事だと思います。
さすがに90才超えてそういう病気になれば、体が持たないことも多いだろうし、医者も家族も濃厚な治療はしないでしょう。
ですから、90才までは元気に生きる。
そのためには、若い頃からの節制や、現在ある病気をしっかり管理することが大事です。
それでも、死ぬ前には家族や他人のお世話になります。
それは当然のことだと思います。
他人に迷惑をかけたくないというのは皆さん思われるでしょうが、それは迷惑でしょうか?
家族が死に逝く先達の世話をするのは当然だと私は思います。それを当然と思って貰えるだけの家族関係を築くべきだし、
家族だけでは大変な場合、家族の居ないヒト、面倒を見るひとが居ないヒトを社会が面倒を見るのは当然だと思います。
ただ、それが長くなるとお互い辛くなるでしょう。
だから、今を出来るだけ健康に生きる努力をすることが大事だと思うのです。
by takahashi-naika
| 2017-06-01 11:47