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勇造さんの思い出 その1

ライブをやるときに、いつも聞かれるのが、「豊田勇造って誰?」と言うことです。
お知り合いですか?とも聞かれます。
それだけ知名度が低いのですね。
勇造さんのことを説明することは、私にとっても嬉しいことではありますが、それよりもやっぱり実際に来て貰って歌を聴いて貰うのが一番だと思うのです。
言葉で歌の魅力は伝わりきらないので。

いつもいつも、マイナーだと思っていた自分がそうでなかったと感じたことがありました。
その時の事を書きます。

勇造さんは今66才ですが、60才になったときに、6月6日に6時間60曲を歌うと言うライブを企画しました。場所は地元京都の丸山公園野外音楽堂。外人タレントも使う大きな会場です。
入場料はなんと無料!これは長年のファンの為に企画されたライブだったのですね。

もちろん、ファンの方も黙っては居ません。
ファンクラブ(そういうものがちゃんとあるのです)を中心に、カンパ(おひねり)の動きが出ました。
ほとんどのファンが出したのではないでしょうか?もちろん、私も出しました。たぶんライブの入場料よりも多い金額だろうと思います。

当日は土曜日でしたので、行けないなあ・・と思っていましたが、配偶者が仕事を代わってくれて、行っておいでと言ってくれたので、日帰りで出かける事にしました。
私と、当時小学校6年生だった娘と、徳島のファンであるシンちゃんを乗せて車を走らせました。
途中、淡路でスピード違反で捕まったりしましたが・・。

私はずっと考えていました。
どのくらいの人数が来るのだろう?
会場は3000人入るのです。
毎年全国100カ所近くライブをやっている勇造さんですから、その主催者達が全員来て100人。
いや、その人達が私のように数人知り合いを連れて来て300人程度、それに主催者以外のファンなども来て500人程度が家族的にワイワイと楽しみ和むライブになるんじゃないかなと。

会場に着いたのは開演の30分程度前ですが、かなり沢山の人が列を作っていました。
勇造Tシャツを着たり、幟やプラカードを持っている人が沢山います。
席は全席自由で、私たちは前4分の1ぐらいの真ん中に席をとりました。
当日は昼まで雨が降っていましたが、晴れ男の勇造さんらしく、ライブの始まる頃には陽がさしてきました。

ライブは勇造さんの弾き語りから始まり、勇造バンドや勇造さんのフォロワーの若いミュージシャン達も出演してバラエティーに富んでいます。
全体が3部に分かれていたのですが、2部の終わりの頃に私はふと後ろを振り返ってたまげました。
3000人収容の会場のかなり後ろの方まで人が入っています。発表では約2000人と言うことでした。

事前のホームページでの掲示板でも盛り上がりは感じていました。
日本全国はもちろん、現在は外国に住んでいる人まで、今度のライブには行くぞ〜と言ってましたから。それでもこんなに居るとは。

ライブの終盤、そのほとんどの人が勇造!勇造!と叫んでいます。
感極まったおっちゃんが、ステージ上って勇造さんに抱きつきます。
ラストの大文字、そのリフレインはみんな揃っての大合唱です。

さあ もういっぺん さあ もういっぺん 火の消える前に
さあ もういっぺん さあ もういっぺん 火の消える前に

勇造さんはこのリフレインも、なんと60回歌ったのでした。

私も知らず知らず感極まって涙を流していました。
嬉しかったのです。
こんなに大勢の勇造ファンに会えて。
自分は間違っていなかった。
自分が16才の時に出会って、その後ずっと40年近く聞き続けて来た人は、こんなに多くの人に愛される人だった。
自分の耳は正しかった、自分の目は正しかった。
徳島では孤独な勇造ファンだけど、こんなに多くのファンがいた。
そんな事を思うと、ぽろぽろと涙が出たのでした。

年に1回のライブですが、毎年このライブが終わると、心と体がリセットされたような、変な言い方ですが命の洗濯をしたような気になります。
歌もそうなんですが、こんな風に自分と全く違う生き方をしている人みて居ると嬉しくなるのです。
こんな風に自分も生きて行けたらと思うのです。

以前ライブを手伝ってくれた若い子が、今は少し心を病んでいると聞きました。
就職先も決まっていたのに、その直前で考えすぎてしまい・・。
高校の時は体育系で慣らした子だったのに。
今年も手伝いに来たら?と勧めましたがそれも叶わないようです。
手伝わなくても、ライブに来て歌を聴いて勇造さんのあのえがおに接したら・・と思います。
無理しなくても良いんだよ、頑張らなくても良いから、ゆっくりと生きていればいいんだよ。
そんな事を言う訳ではありませんが、体からそれを発散させている勇造さんですから。


毎年京都から当院のライブに来てくれる人がいます。
勇造さんと同じ66才ですが、勇造さんよりはかなり老けて見える(と、言うか勇造さんが年齢不詳)おっちゃんです。
この人は仕事を定年になった60才の時に、初めて友人に連れられて勇造さんのライブへ行きました。
それがなんと前述の6時間ライブだったのです。
そりゃ刺激強すぎだろう・・と思いますが、一発で勇造さんのファンになったその人は、それ以来勇造さんのおっかけになって、全国のライブに付いて回っています。
そのご縁で当院のライブにも来ていただけるようになりました。
一緒に自分も全国を回って楽しんで居る訳です。
毎年若返って行くような気がします。


あの6時間ライブの最初と最後に2回歌われた歌、「海のはじまり」
最初は静かなフィンガーピッキングで、2回目は激しいストロークで。
その歌の歌詞を最後に書いておきます。

♪はじめは生まれたての 魚みたいに
♪小さな水を楽しんでいた
♪海の岬の灯台守とか 女ひとりに生きる男とか
♪親の夢に重なり列乱さず 群れたがる自分嫌になりはじめ
♪思えば嬉しく懐かしい 俺の海のはじまり

♪身体が変わり 声変わり
♪一人濡れるくせ 覚えた夕方
♪紺色に染まった 制服の裾から 広がり始めた 俺の反抗
♪焦る思いにカーテン開けると 西日の当たる町 京都
♪干し魚売る声の向こうに 広がりはじめた海のはじまり

♪街には不良がさまよっていた 風には花粉が漂っていた
♪ライクアローリングストーン口ずさみ
♪胸まで髪垂らし歩いた
♪働きはじめた友達の目付きに 寒気感じ旅に出た
♪胸のそこまで真っ青になる 海が見たくて旅に出た

♪漁師の寒さがわかるものかと 飲んでくれなかった函館の酒
♪お前日の丸焼いたやろ、殺す!と囲まれた琉球の夏
♪俺の歌「ジェフベック雨の円山音楽堂」
♪水かぶり踊ってくれた男に おおきに!
♪思えば嬉しくなつかしい 俺の海のはじまり

♪今ひとつの始まりつげ 三日月わたる夜の底
♪焼き上がり待つ 焼き物師みたいに 
♪この歌を書いている
♪とどまるな俺らの旅心!
♪生きている間は楽しんでやれ!
♪お前におくりとどけたいもの

♪俺の海の静けさ
♪俺の海の冷たさ
♪俺の海の激しさ
♪俺の海の高まり

♪お前に受け取って貰いたいもの
♪俺の海のはじまり


私も、また今年もいっぱい元気を貰えたらと思っています。
by takahashi-naika | 2015-11-09 17:06 | 日常雑記

たかはし内科 院長 日々の診察雑記帳


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