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1人の旅立ち

この文章は、もう10年も前に別のブログに書いたものです。
久しぶりに読み返し、少し手を入れて再掲します。
読み返してみた感想は・・・昔は若かった(爆)


夜中の2時過ぎ、半分眠りこけて、頭がぐらぐらなりながらも何とかブログをアップして、マジ寝ようと思っていたら電話が鳴った。

一瞬どうしようか頭で迷ったけど、留守電にしてなかったし、身体が反応して受話器を取った。

電話は、患者さんのKさん。
「先生、もう死んでるみたいなんです」
kさんの弟さんであるOさんは、上咽頭つまり喉の奥の方に癌があって、もう大分前から悪い状態だった。

そうか・・Oさんが亡くなったのだ。

最初にOさんを診たのは1年半ぐらい前になる。
首が痛いと言うのが主訴だった。触ると首のあちこちに大きなリンパ節が累々と腫れていた。感染症のときの腫れ方とは違うと、県立病院の耳鼻科を紹介した。診断は、上咽頭の癌か悪性リンパ腫でしょうとの事だった。

しかし、Oさんはそれ以上の検査(組織の生検とか)を拒否して、耳鼻科への診察も行かなくなってしまった。
電話して当院に来て頂いて、何度か説得したが、とりつくしまがなかった。

時々、痛み止めを取りに来るだけで、診察室にも入ってこなかったが、ある日呼び込んで診察すると、リンパ節はまるでおにぎりのように大きく腫れて顔貌が変わってしまっていた。

それからも鎮痛剤を取りに来ていたが、普通の鎮痛剤から、麻薬類似薬へと変わり、1最終的にモルヒネも処方した。

お姉さんのKさんは、何かと弟にあたるOさんの世話を焼いていて、何度か診察室に入ってきて相談を受けたけど、当の本人が何もかも拒否しているので、手の出しようがなかった。
今年になって一度だけ、恐らく腰骨に転移していたのだと思うが、あまりに腰が痛いと言うので診察室に本人が入ってきた。その時に、1人で自宅で誰も知らないうちに死んでしまう事になるかも知れないけど、それでも良いのですか?と尋ねると、それで良いと言う返事だった。
痛そうに脚を引きずりながら帰っていった。
身体は痩せているのに、顔はリンパ節が腫れて膨れていた。

数日前にもKさんがやってきて、いよいよ悪そうだと言う話は聞いた。多分、気が付いたら亡くなっていたと言うふうになるでしょう、親族は辛いけど仕方ないですねと言う話をして、そうなったら死亡確認に来て貰えますかと尋ねられたので、もちろん行きますと答えていた。

そうか・・Oさんが亡くなったのだ。

寝間着の上にウインドブレーカーを着込んで、往診鞄を持って外に出る。
自分の吐く息が白い。空には満天の星。

彼の家は、幸い自宅から歩いて200mぐらいのところだった。
行くのは初めてだったけど、そんな時間に灯りが点いてるのはそこしかないだろうと見当を付けて戸を開けて入っていくと果たしてそこだった。

Oさんはこたつの中で寝た格好をして亡くなっていた。
Kさんと、Kさんにそっくりな顔をしたもう一人のお姉さんが居た。
彼女たちは一緒に泊まり込んでいたらしい。
昨夜は一緒に少しブランデーを飲み、彼女たちは9時過ぎに先に床に入ったが、いつしか彼のいびきが聞こえないのに気づいてやって来たら事切れていたと。

診てみると、もう既に死後硬直が始まっていた。
普通、2時間ぐらいから硬直は始まる。
恐らく亡くなったのは11時頃じゃないか。
彼の手足は強く引っ張ってみたらまだ伸ばせたけど、もう少し立てば本格的に硬直が完成するのだろう。

たった1人の子どもである娘さんにも来なくて良いと追い返し、兄弟達にも何もしなくて良いと言っていたらしい。
あまりに調子が悪そうなので、明日は先生に来て貰おうと薦めたら、自分が死んでから来て貰ってくれと言ったそうだ。
文字通り、その通りになった訳だ。

こういう死に方もあるのだ。
潔いと言おうか何と言おうか。
確かに誰にも迷惑をかけてない・・と言うか最小限の迷惑しかかけていない。
でも、その潔さのせいでお姉さん達は苦しんだかも知れない。
潔さ・・単に人間嫌いだっただけかも知れないけど。

亡くなる患者さんや家族とは、濃いつき合いになることが多い。まあ、それは当然だ。
この患者さんとは殆ど接点がないままだった。
くるりと背を向けた人を、遠くから眺めていただけだ。
それ以上踏み込ませない、強靱な意志で作られたバリアがそこにはあった。

亡くなった事によって、そのバリアはなくなり、物理的にはみんなが彼のそばに行くことが出来た。
でも、彼の心のそばに誰が行けるだろう?

彼はたった1人であの満天の星空に登っていったのだ。

ホントは、彼は他人に何かして欲しかったのじゃないかな?
でも、そしたら医者である私は彼に一体何をしてあげられたのだろう?
そんな風に思うのは、何かをせずには不安で仕方ない、弱い心の表出なのかも知れない。
結局それは周りの人間が、何かしてあげたと言う自己満足なのかも知れないな。

結局、生きるのも死ぬのも1人だよ。
そんな風にOさんが笑いながら言っているような気がした。

冬の大気が肌を刺すような冷たい夜だった。


数日後の休日。
息子とキャッチボールをしていたら、喪服を着たKさんと妹さんが親族を連れてやってこられた。
そうか、今日がお葬式だったのだな。
初めて見る娘さん、その旦那さん、そしてoさんには孫に当たる子ども達。
みんなが深々とこちらへ向かって礼をしてくれた。
自分は何もしてあげることが出来なかったのに・・・。

決して、彼は1人では無かった。
大勢の人に囲まれていたのだ。
それが分かって少し気持ちが軽くなった。
良かったね・・・今はもういないOさんに向かってそう呟いた。
冬の夕焼けが目に染みてしかたなかった、
by takahashi-naika | 2015-03-11 01:02 | 診療雑記

たかはし内科 院長 日々の診察雑記帳


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